リーマンリーディング

本と言葉と世界を読む

ドストエフスキー『地下室の手記』(光文社古典新訳文庫、2013年)。めんどくさい男の話。

ドストエフスキー地下室の手記』を読みました。光文社古典新訳文庫で読んだこともあってか、ドストエフスキー作品でよく聞くような、翻訳による読みにくさは感じませんでした。

しかしながら、内容はとても読みづらく、正直、受け取り方が難しいなと感じた本でした。

本書は、第1部「地下室」、第2部「ぼた雪によせて」で構成されています。このうち、第1章は、哲学的ともいえる議論が続き、第2部では私たちが小説と聞いてイメージするような小説が続きます。

この第1部での主張をしっかりととらまえることは私の力量では難しいのですが、理性と、意志や欲望が対置され、書き手は意志や欲望の側をを称揚しているように感じます。(以下は、ともに第1部からの引用です)

二掛ける二は、俺の意志がなくたって、四に決まっているだろう。自分の意志ってのは、そんなもんじゃないはずだ!

それにいったいどうして、正常でポジティヴなものだけが、つまり平穏無事な幸福だけが人間にとって有利なものだと、あんた方はそれほど断固として勝ち誇ったように言い切ることができるのだ? 理性が、利益の何たるかを見積もり損なうこともあるのではないか? ひょっとしたら人間が好むのは、平穏無事な幸福だけじゃないかもしれないだろう? もしかしたら、人間は同じくらい苦しみも好むのではないか? 苦しみは、平穏無事な幸福と同じくらい人間にとって有利なものかもしれないではないか? 人間は時として、苦しみを猛烈に熱愛することもある。

その後の第2部では、小説が展開されますが、この主人公・語り手はかなりのくせ者たと言えそうです。一点にフォーカスして、思考が細かいところに入っていき、極端な推論をしたうえで、目の前の相手に対して感情を爆発させた結果、人間関係を壊してしまいます。

こんな人が職場にいたら、私は絶対近づきません笑。ドストエフスキーの小説の中でよかった笑。

まったく理解できない行動を繰り広げる主人公・語り手について、私は、「自分はこの小説をしっかり読めていないのではないか?」という疑念がつきまとっていたところ「訳者あとがき」の次の言葉を見つけました。

そして何より、特に難解な哲学的考察の第Ⅰ部を過ぎて、第Ⅱ部の小説部分に入ってからは、主人公の性格のあまりのねじけ方に、思わず苦笑を誘う場面もあり、訳しているうちに少しずつシンパシーを覚えるようになったのが幸いだった。

私は、シンパシーを覚えるまではいかないものの、むしろこの小説の主人公・語り手の特徴は、やはりこのねじけ方にあり、その点よく味わえました。

本書はドストエフスキーの作品としてはかなり短い方だと思います。もう少し長い小説にもいつかトライしてみたいです。