リーマンリーディング

本と言葉と世界を読む

久しぶりに三島由紀夫の『春の雪』を読んで圧倒された件

久しぶりに三島由紀夫の『春の雪』を読んで圧倒されました。

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春の雪は、「豊饒の海」4部作の第一巻を構成する恋愛小説で、2005年には妻夫木聡と竹内結子の主演で映画化もされましたね。

学生時代にも映画を観たついでに4部作の一巻目だけは読んだことがあったのですが、今回久しぶりに手に取ると、言葉の美しさ、緻密さに改めて驚愕しました。

そして、ストーリーは綺麗な細部が寸分の狂いもなく編み込まれて壮大な全体を構成しているといった趣き。圧倒的な豊かさを感じます。

細部の描写からは、明治末年から大正初期の頃の華族社会の雰囲気を感じ取ることができます。松枝清顕の思考からは倒錯した美意識のようなものを感じます。事が露見してから、聡子の気持ちを誰も考えることもなく弥縫策にてんやわんやする家族の群像劇はどこかコメディのようにも受け取れます。

誰にも言えない秘密を抱えたり、逆に事を無事に落ち着けるための手はずを整えたりすることは、物事全体をコントロールできているような万能感をもたらすんだよな…と、本書後半の描写を読んで思ったりもしました。

聡子がこどもを「始末」することについてどう考えていたのか、出家することについてどう考えていたのか、はっきりとは書かれていませんが、聡子の強い意志が感じられる行動に厳粛な気持ちになりました。

文庫版の解説によれば、三島はインタビューで一巻目は古典的恋愛小説(たおやめぶり)、二巻目は英雄的な行動小説(ますらおぶり)、三巻目はエキゾチックなバロックふうの物語(異国ぶり)、最終巻はSFじみたアヴァンギャルドふう、の構想を持っていたようです。二巻以降も気になります。

河田皓史『働く人が減っていく国でこれから起きること』(朝日新書、2026年)

河田皓史『働く人が減っていく国でこれから起きること』(朝日新書、2026年)を読みました。

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筆者は元日銀の職員で、現在はみずほ総合研究所調査部に所属するエコノミスト。ご本人も、独身単身者でFIREを目指しているとのことで、そういった視点からもなかなか面白いテーマが書かれています。

私が印象に残ったところを備忘録的に残します。(必ずしも本書の主張の本丸の部分ではないかもしれませんが)

個人としても専門性を高める意識が必要?

「働かないおじさん」という言葉を聞くようになって久しいですが、そのような従業員が生じるのには日本企業の幹部選抜のあり方が影響を与えているのかもしれません。日本企業は、幹部候補の選抜のために20年以上も社員を競わせます。

しかしながら、幹部になれなかった社員は、エンゲージメントを失い、転職の難易度も上がり、転職の可能性が低いがゆえに自社に対する交渉力も失い、「働かないおじさん」化してしまうようです。(第一部第一章)

一個人としてみても、エンゲージメントの低い状態で働くことはなかなかつらいものがあるでしょうし、できることならば高い評価を受けながら働く方が好ましいと思います。

そのためには中高年の薄い転職市場においても評価される専門性や技能などが重要になってくるのかな?

本書では直接語られているわけではありませんが、こういった全体の構図を踏まえて、個人としてどうするかという視点が重要だと感じました。

人口3千万人台の日本

国立社会保障・人口問題研究所の長期予測によれば、現在よりも出生率がさらに低下するという前提に立てば、2110年代には人口は3千万人台まで減少するとのこと。(第二部第三章)

仮に3千万人で今と同じ経済規模を維持するには、1人あたり4倍の労働生産性が必要になる計算です。著者が提案する解決策は、無駄な会議をやめる、無駄な忖度をやめるなどを通じて、生産性を高めていくという、一見、地味なものです。

さらに具体的には、「毎月10分の無駄をなくす」ことを提案します。こういった問題に、劇的な解決策はないのかなと思わせてくれます。私も目の前の取り組みをしっかりやっていこうと思いました。

島田雅彦『Ifの総て』(新潮社、2026年)読了

島田雅彦『Ifの総て』(新潮社、2026年)を読みました。

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生成AIによるタイムマシーンを駆使して、歴史のIfをたどるという設定の小説。島田雅彦らしい軽さやバカバカしさがあって、一方であり得た世界を真面目に想像させてもくれる小説。

生成AIという存在を、小説の中の不可欠の設定として取り込んでいるという意味でも面白い小説でした。

的が見えない時、人は何を射るのか――『キングダム』79巻を読んで

最近読んだ『キングダム』79巻で、とても印象に残った場面がありました。

弓の名人が登場するエピソードです。「的」とは結果であり、矢を放つことは新たな結果を現実にもたらすことだ、という描かれ方で、そして、的が見えない時には、どこまでも落ちない矢を放つのだ、と語られます。

戦闘漫画の一場面なのですが、不思議と哲学的な響きを感じました。

結果が見えてしまった人

特に印象に残ったのは、その弓の名人の存在です。

彼は単に弓が上手いのではありません。

放てば必ず的を射る。

つまり、結果が見えている人として描かれています。

普通、私たちは結果が分からないから努力します。

成功するかもしれないし、失敗するかもしれない。

だから考え、悩み、挑戦します。

しかし、結果が完全に見えてしまったらどうなるのでしょうか。

そのとき人は、「どうやって当てるか」を考える必要がなくなります。

代わりに、「なぜ射るのか」という問いだけが残ります。なぜ射るのかわからなくなるというのは、ニヒリズムにも近いように感じます。

私はこの発想に妙な恐ろしさを感じました。

的を射るとは何か

作中では、「的」とは結果であり、矢を放つことは新たな結果を現実にもたらすことだと語られます。

この考え方が面白いと思いました。

普通は、結果とは未来にあるものです。

しかし、この場面では少し違います。

矢が放たれることで初めて結果が生まれる。

つまり、人の行為によって現実が変わるということです。

考えてみれば、歴史とはそういうものなのかもしれません。

秦による中華統一も、最初から存在していた「的」ではありません。

誰かが矢を放ったからこそ、後から現れた結果です。

どこまでも落ちない矢

そしてもう一つ印象に残ったのが、「的が見えない時には、どこまでも落ちない矢を放つ」という考え方でした。

私は最初、この意味がよく分かりませんでした。

しかし読み終わった後で考えてみると、これは「結果が見えない未来へ向かう意志」のことなのかもしれません。

結果が見えているなら、そこへ向かって射ればよい。

しかし、本当に大きな変化というのは、まだ結果そのものが存在していない場所から始まります。

だから見える的を狙うのではなく、見えない彼方へ矢を放つ。

その結果として、新しい的が現れる。

そんな話として読めました。

『キングダム』は歴史漫画として読んでいましたが、この場面では戦いや勝敗よりも、「人はなぜ行為するのか」というどこか哲学的な問いを投げかけられたような気がします。

小峰隆夫『地域と人口減少の経済学 スマート・シュリンクという選択肢』(中公新書、2026年)

仕事が少しバタつき更新が滞っていましたが、小峰隆夫『地域と人口減少の経済学 スマート・シュリンクという選択肢』(中公新書、2026年)を読みました。

著者は1947年生まれで、経済企画庁に入庁し、経済企画庁や国土交通省の局長まで務められ、現在は大学教授をされている方。経済学的な知見のみならず、政策立案の実務にも目配せした落ち着いた記載がされているという印象です。

本書の中で印象に残ったことをいくつか備忘までに記します。

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出生率2.07の達成は不可能(p71)

著者は、人口置換水準である出生率2.07であると書きます。政府は地方創生などの施策を通じて(今日的にはこども家庭庁が行う様々な施策もその中に入ってくるでしょう)この水準を追求してきたわけですが、達成はできていません。また、コロナ禍以後には、希望出生率も1.6まで下がっているのが現状とのこと。

そうなってくると、本書のサブタイトルにもある通り、どのように縮小していくのかが当面は大事ということになるのでしょうか?言い換えれば、私たちは、子育て世代への給付を増やし、子育てのコストを下げることにより出生率を増やし、人口減少による様々な問題の解決を図るというのは、現実的にはなかなか困難で、当面は出生率も人口置換水準に到達しない前提で社会を回していく方法を考えるのが現実的ということになるのでしょう。

地方部のアンコンシャス・バイアス(p165)

東京圏に流入する人は、実は女性の方が多い。なぜ東京圏へ移動するのかということを聞いた調査によると、「進学や就職したい先があった」という答えが最も多いものの、2番目以降は「他人の干渉が少ない」、「多様な価値観が受け入れられる」というもので、こういった項目は女性の方が回答割合が高いです。こういったところは、地道な地域づくり、地方自治体も長い目線で取り組める領域なのだと思われました。

なぜ花は「落ちる」のではなく「散る」のか︰韓国語と日本語

韓国語では「落ちる」も「散る」も、「떨어지다(トロヂダ)」という一語で表現すると知ったとき、私はハッとさせられました。日本語では明確に使い分けるこの二つの動作が、隣国では同じ一つの現象として捉えられている。そう考えると、日本語の「散る」と「落ちる」も、元を辿れば同じ「根っこ」から枝分かれした言葉なのではないか、と思えてくるのです。

ごく簡単に調べてみた範囲では、「散る」と「落ちる」はルーツから別の言葉とされていて、同じ語源から派生したと考えるのは日本語学的には正しくないそうです。しかし、漢字を当てると見えなくなる音や動きの類似性が、韓国語という参照軸を使うと見えてくるような気がして、興味深いです。

藤本龍児『宗教のアメリカ』

藤本龍児『宗教のアメリカ』(岩波新書、2026年)を読みました。

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17世紀初頭からアメリカの歴史をさかのぼりつつ、宗教の観点からアメリカを読み解く重厚な一冊でした。

いままでは、「アメリカ人には宗教を原理主義的に信じてる極端な人がいるらしい」くらいの知識しかなかったのですが、アメリカを知ろうと思ったら宗教を抜きにはできないことがわかる一冊。特に私は歴史の知識があまりなく、本書前半の歴史の記述が多い章のほうが興味深く読めました。